2022年10月30日、高知市立自由民権記念館で行われた天文講演会「宇宙を流れる星の調べ~関勉さんの語る星と音楽とロマン~」に行ってまいりました!
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(講演を主催されました高知天文ネットワーク様の許可を得て画像を掲載しております)

関式コメットシーカ―のレプリカとともに登壇した関さんは91歳(間もなく92歳とのこと!)とは思えぬ若々しさ。このあと約一時間にわたり立ったまま話されました。

第一声からとても熱量のある方だな、という印象。皆様よくご存知の通り、現役の観測家として活動を続けておられるわけですが、このバイタリティあってのことだな、と納得。普通は年齢を重ねると目の衰えなどに言及してしまうものですが
「現在でもわたしは遠くのものなら良く見えます。天体観測では慣れの部分が一番重要だから、もし見えないとしたら訓練が足りないのです」
も他ならぬ関さんが言うと物凄い説得力で迫ってきます。

池谷・関彗星にまつわるさまざまなエピソードから講演は始まりますが、1965年9月17日、第二室戸台風襲来のさなか、台風通過後の高知で晴れ間にで捜索した関勉さん、また台風通過中の浜松で台風の目の晴れ間で捜索した池谷薫さんの二人が、ほぼ同時に彗星を発見した奇跡、即座に軌道計算しコロナに突っ込むことを予言したフランスのリゴレー、またコロナに突っ込んだものの持ちこたえて消滅しなかった彗星が健在である旨の第一報が池谷・関両名のTV出演中にもたらされる、等々のドラマが当事者の口から語られていきます。
(ちなみに第二室戸台風の時、うちの両親が住んでた家の屋根が風で飛んでって、突然家の中に雨が降り始めたそうです 笑)

さらに、その後、池谷さんは連年の捜索の疲労で体を壊して医師から観測を止められた時、盟友とも言うべき関さんの元にあるものを送りました
「自分は今後観測できないから、あなたがこれを使って彗星を発見してください。丹精をこめて磨いた鏡です」
池谷鏡
この105mmF6の鏡にはなんと「No1」と書かれていて池谷さんが最初に磨いた鏡とのこと!

池谷鏡の第一号ですと!?

それを聞いたとたん鳥肌が立ちました。一人のレジェンドから願いを込めた歴史的アイテムがもう一人のレジェンドに渡り、現存するその現物が今目の前に・・・カイロ美術館でツタンカーメン王のマスクを見た時にこんな気持ちだった気が(笑)。

さいわい、池谷さんは5年ほどの休養で復帰され、その後の再度の活躍は皆さんご存知と思いますが、こんな逸話があったとは・・・

池谷・関彗星からハレー彗星、小惑星と話は続きますが、一貫して流れているのが、宇宙に対する限りない興味と、晴れ間がある限り観測を欠かさない姿勢ですね。これが自分が講演の冒頭で関さんに感じた「熱量」につながっているのだと思います。

「わたしが台風の後の晴れ間、池谷さんが台風の目で彗星見つけて、これを運が良かった、って言えばそうだけど、無駄とも思える日々の努力を怠る人には絶対に運は訪れない。池谷さんは池谷・関彗星を発見した時、台風の中、30分ぐらいしかないであろう晴れ間のために望遠鏡をリアカーに積んで1kmくらい先の観測地に向かった

これも関さんが言うと重みが違います。

さて、今回の講演のもうひとつの目玉はイケヤ・セキ彗星を見てインスピレーションを受けたキューバの作曲家、ホセ・カレヨさん(故人)が作曲した「Ikeya-seki」が聴けること。これは楽譜を元に香美市の星空案内人、佐々木衣織さんのアレンジにて、録音にキーボードの生演奏を加える形で披露されました。ここでそれをリンクできないのが残念ですが、予想に反してカリビアンな明るい曲調で「イケヤ・セキ、イケヤ・セキ・・・」と連呼する「歌詞」もあり、関勉さんご本人も「同じフレーズが繰り返されてて、よかったです」とおっしゃってました。

佐々木さんのアレンジとは違うと思いますが参考までにキューバの皆さんが演奏した動画をリンクしておきます。

とにかく、関さんの講演は全般を通してよどみなく話題が展開されました。あらかじめいくつかスライドも用意はされていましたが講演原稿もなく、おそらく有り余る引き出しを随時ピックアップしてのアドリブと思われました。とにかくその全てにわたっての超現役ぶりは驚異的なほど。

その基礎になっているとも言える健康の秘訣はと言うと
「昔水泳やってましたが、今は歩いたりヨガの呼吸法とか。あと、やっぱり食べ物だと思います。朝、妻に何だかよくわからない(笑)甘いものや苦いものを飲まされる。それも含めてひとえに妻のおかげですね」
やはり奥様のサポートあってのこと。これも素晴らしいです!

とにかく、いろいろな事に勇気をもらった関勉さんの講演会でした。今後とも長く「生涯現役」を貫いていただきたいですね!

あと、講演で伺った金言の数々を順不同に書きだしておきます。


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10年捜索して彗星を発見できなかったので11年目にやめたら生活が全く変わって人生がつまらなくなった。2年休んだが復活したら生活に張りができた

早く発見したいと思っているうちはダメ。無の境地で臨むと向こうからやって来る

満天の星を見たら、誰が見てもこの宇宙はどうなっているんだろう、と思うはず

池谷・関彗星発見の一報を国立天文台に入れたところ、普通ならアマチュアの観測結果とかいろいろ間違ってて怪しいので国立天文台で改めて確認してからスミソニアンに連絡するところを、その手順を飛ばして連絡してくれた。第一発見者になれたのはそのおかげ

本田実さんに手紙を書いて返事をいただいたのに感動した。今は自分がいろいろな質問を受ける立場だが小学生から来た質問などにも工夫を凝らして回答するようにしている。

小学1・2年の時は宿題やってこない・態度が悪いなどでほぼ2年間を棒に振ったが3年の時赴任してこられた岡本啓先生との出会いで全てが変わった。この先生は昆虫を研究しておられて戦地に赴任するために学校を去るときは皆が走って追いかけ、かなわぬと知って崩れ落ちて泣く、それほど人望のある先生だった。

発見直後の彗星はボーッとした人魂のような状態で星雲や星団と見分けがつかない。星雲の位置は全部覚えておかないと捜索の効率が悪くなる

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